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戦場における兵士たちの祈り

2026年もすでに丸半年が過ぎてしまいました。トランプ第2次政権の2年目は、米国建国250年目を迎え、それに関連するいろいろなイベントも行われてきたかと思いますが、私個人はそうしたものを祝う気になることができませんでした。しかしながら、少なくとも米国の歴史については、これからも謙虚に学んでいなかければいけない、またその中から未来への手だてを見出していかなければならないと思う気持ちは益々強くなっています。

これまでいろいろな資料調査プロジェクトを手掛けてきましたが、そうした中で出会ってきたいくつかの写真について長い間気になってきたものがあります。それは戦場における兵士たちが一生懸命祈っている光景の写真です。今回はそれらについてご紹介したいと思います。

Prayer for their buddies. Their chaplain says a benediction for Marines who lost their lives in the capture of the airport at Cape Gloucester. The American flag has just been raised on the airport. Major Gen. William H. Rupertus, Commanding General of the Marine Division which made the New Britain invasion, stands on the left. A wrecked Jap bomber forms (over) the background. 12/31/1943. No. 71610. 983. Box 63, Solomon and Cape Glouster. RG127-GW, Photographs of World War II and Post World War II Marine Corps Activities, ca. 1939–ca. 1958. National Archives in College Park, MD.

オーストラリアの統治領であったニューブリテン島は、1942年1月に日本軍によって占領されましたが、1943年12月には米軍とオーストラリア軍の攻撃をうけ、その島の西側から米軍は上陸していきました。西側のグロスター岬に米海兵隊は12月26日に上陸をし、その時の戦いで海兵隊も多くの犠牲者を出し、その追悼をしている様子が上の写真です。日本軍も多大な犠牲者を出し、生き残った兵士たちはこの島の東側のラバウルで熾烈な戦いを強いられることになりました。

この写真のキャプションの中にある、“チャプレン”(chaplain)とは、通常、従軍聖職者と呼ばれる軍人または軍属のことです。戦場での恐怖やストレスに直面する兵士の心の支えとなったり、負傷者を慰め、また戦場でのミサや礼拝をおこなったり、亡くなった兵士への葬儀や埋葬時の祈りを行います。こうした人々はローマ帝国時代から存在していたそうで、現在では米国を含め、制度化している国々も少なくありません。

米国の陸軍は1775年6月14日に、海軍は同年10月13日、海兵隊は同年11月10日にそれぞれ発足しましたが、陸軍では、同年6月29日に従軍聖職者部隊が発足しました。

(U.S. Army Chaplain Corps from The Army Historical Foundation:

: https://armyhistory.org/u-s-army-chaplain-corps/)

米国が、建国前後からすでにそうした組織を持っていたこと、南北戦争においても、またそれ以降の様々な戦争においても、各地の戦場で、兵士を支えてきました。彼らは、武器を持つこと、戦闘に参加することはありませんでした。が、戦場にいる以上、戦闘に巻き込まれてしまうことも少なくなかったと思います。

第二次世界大戦中の各地域の戦闘に関する写真の中には、こうした従軍聖職者と祈る兵士たちの様子を撮影したものがたくさんあります。以下の写真は、硫黄島に到着した、3人の従軍聖職者たちです。左からカトリック、プロテスタント、ユダヤ教のそれぞれの聖職者たちです。当時はこうした宗教のみでしたが、現代の米軍では、イスラム教や仏教やヒンドゥー教の聖職者たちもいます。

Chaplains Driscoll (Catholic), Wood (Protestant), and Rosenberg (Jewish), talk it over on Iwo. February 1945. No. 142405. 339. Box 22, Iwo Jima. RG127-GW, Photographs of World War II and Post World War II Marine Corps Activities, ca. 1939–ca. 1958. National Archives in College Park, MD.

それぞれの地域の戦闘状態や戦闘後の状況によって、一時的な教会施設などを建てていた場合もありましたが、例えば硫黄島の戦いにおいては、まさにほんの少し前までそこは戦場であった場所、またはすぐ近くまで敵の砲弾が飛んでくるような場所または自分たちから砲弾を飛ばす場所においても、この従軍聖職者たちが、兵士のために祈り捧げていたこと、また兵士たちも戦場の狂気から一瞬でも離れて、祈っていた時間を持っていたことに私は衝撃を受けました。

生きるか、死ぬか、撃つか、撃たれるかという絶え間ない恐怖に苛まされるような極限の状況の中で、平常心を保つ努力について想像することは、戦争を体験していない人間にとっては大変難しいことだと思います。これは米軍側だけではく、日本軍側にとっても同じ状況であったと思います。日本軍側では、こうした従軍聖職者という制度はなかったと思いますので、各兵士が持っていただろうと思われる千人針や、地元の寺や神社のお守りや家族の写真や手紙などが心のよりどころであったかもしれません。形は異なっても、何らかの祈りの場所やもの、自分の心を落ち着けさせる場所やものが必要であったのではないかと想像します。

以下の3枚の写真は、カソリック、プロテスタント、ユダヤ教のそれぞれの宗教に則った祈りの様子です。最初の写真は、2月23日に摺鉢山が陥落した直後に行われたものはないかと思いますが、戦場という極めて特殊な環境の中でも、必死に祈ろうとする従軍聖職者と兵士たちの姿は、非人間的な戦闘行為とは対照的で、とても人間的であると思います。

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